なぜ私はゆる体操指導員になったのか。

なぜ私はゆる体操指導員になったのか。

なぜ15教室を担当し、これからも担当教室を増やそうとしているのか。

それは9年前、2004年の夏のことです。

鍼灸院を経営していた私は、患者さんが私の鍼灸治療で健康になっていくのと裏腹に、肩こりとひどい冷え症に悩んでいました。

また、患者さん達に自宅で気軽に取り組んでいただける体操法を探していました。

そういう時に作家の中谷彰宏さんのHPで高岡英夫先生の著書を知り、ゆる体操の入門書を一冊、アマゾンで買ってみました。

ところが、本を読んだだけではやり方がよく分からない。「肘クルン体操」と「上腕ジョワーン体操」などは謎の体操(笑)でした。

本にはさみこんであった読者カードを投函してしばらくしてから、「大和撫子のからだづくり」教室が大阪で開講されるとのお知らせハガキが届きました。

Nido先生が白いオーガンジー(と思われる)のドレスを着ておられる写真と、荒木孝二先生の笑顔の写真が印象的でした。

一ヶ月間、それをデスクの目につくところに置いて眺めながら迷っていましたが、ついに運動科学総合研究所に電話して入会しました。

初レッスンでお会いしたNido先生は黒いお洋服でキリッとした感じの女性でした。

初レッスン後、「これはすごい!こんな体操があるんや!」と頭の中でガンガン叫びながら帰宅、さっそく、当時中学生だった娘に教えました。

「なにこれ?おもしろ〜〜い」と娘はつき合ってくれました。

それからレッスンのたびにノートに体操のやり方をメモし、帰ってから練習し、娘相手に先生気取りで教えました。娘も毎回楽しんでやってくれました。

大和撫子のからだづくり教室に参加して2ヶ月後、下瀬仁史先生ご担当の『拘束背芯溶解法』に参加、4ヶ月後には初めて高岡英夫先生直接ご指導の『ゆる体操のメカニズム』に参加。

その後もゆる体操をはじめとする高岡メソッドにどんどんはまっていきました。

そして身体がみるみる変化し、顔の表情が明るくなり、精神的にもすっきりしてきました。その変化の具合がハンパではなかったのです。

そして「こんな良い体操はぜひ人に教えなくては!」と思い、とうとう指導員資格を取りました。

はじめはカルチャーで2教室、その後、念願だった「大和撫子のからだづくり」教室担当講師にもなることができ、ゆるウォークの指導資格も取り、だんだんと教室を増やして行きました。

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