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2011年8月29日 (月)

今日の思い。

子供のころ、4年間ピアノを習っていました。

自分で習いたくて始めたピアノでしたので、単調な『バイエル』や『ツェルニー』も毎日よく練習しましたし、

その甲斐あってか上達も早かったのですが、

4年目に入って、『ソナチネアルバム』が終わる頃にやめてしまいました。

ソナチネアルバムというのは、モーツァルトのピアノ・ソナタなども収録されており、

ようやく曲らしい曲が弾ける、

いよいよこれから本格的な段階に入れる、というレベルなのです。

せっかくそこまで進んでいながらやめてしまった理由の一つは、先生が変ったことでした。

最初に手ほどきしてくださった先生は、基本を大切になさり、厳しいけれども粘り強く教えてくださる方でした。

その先生のご指導のもとで順調に上達していったのですが、ある時、母が新しい先生に替えてしまったのです。

母には母の考えがあったのでしょうが、私は新しい先生にはどうにも馴染めませんでした。

新しい先生は、基本をきちんと習得させるよりも目新しさを優先し、

一曲一曲の完成度を高めるよりも次々と新しい曲に進む、という指導のしかたでした。

「以前の先生のもとで一生懸命学んで習得したものがこのままではダメになってしまう」

と危機感を持った私は、ある時、勇気をふりしぼって

「一つの曲がきちんと演奏できるようになるまで、時間をかけて教えて欲しい」とお願いしたのですが、

いただいたご返事は「もっと気楽に考えて、色々な曲を楽しめばよい」というものでした。

当時小学6年生だった自分はそのご返事に失望し、急速にピアノに対する意欲を失ってしまいました。

新しい先生の指導方針が自分に合わなかった、ということも勿論ありますが、

自分には、先生の態度が「こちらの訴えにきちんと向き合ってくださらなかった」

「適当にいなされてしまった」と思えたのです。

どちらかというと、先生の指導方針に対する違和感よりも、こちらの方が打撃的でした。

あの時のことを思い出すと、今、自分が人様をご指導する立場にあって、

指導ということのデリケートさ、むつかしさを感じずには居られません。

先生がどう生徒に向き合っているかということは指導内容と同じように、

いや場合によっては、より大事なことかも知れません。

 

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